社長の生い立ち

三人兄弟の長男として誕生

1971年3月9日。

日出町藤原の赤松峠で、

三人兄弟の長男として誕生しました。

 

父が養鶏場を創業して間もない頃だったので、

幼少の頃から鶏卵の10kg入りダンボール箱がベビーベッドであり、

中のボール紙製の鶏卵トレーをよく食べていました。

 

小学校の時、学校から帰ると毎日液卵の製造を手伝う日々。

 

ヒビが入っているモノや売り物にならないサイズの鶏卵を

2kgぐらい入るビニール袋に割卵して入れ、

輪ゴムで縛るといった作業でした。

 

これをしないと晩御飯が食べられないので、

毎晩8時頃からが晩御飯。

 

また学校が休みの日曜日など、朝10時まで勉強、

終わったら我ら3兄弟は2鶏舎ずつ(1人5000羽ずつ)

卵拾いといった作業をしていました。

 

これもやらないと遊びに連れていってもらえず、

もちろん泊りがけでどこかに行くことも皆無の世界だったので、

将来は絶対に跡継ぎなんかならないぞ!と決めていました。

 

北海道で酪農を静岡で養鶏を学ぶ

杵築高校時代は、

途中まで真面目に勉学に励んでいたのですが、

対人関係のもつれで喧嘩したり登校拒否したり、

夜中にバイクで走ったりと、そんな感じでしたので、

大学に行くどころではありませんでした。

 

そんな中、夏休みに親戚の紹介で

北海道の酪農家の所で気分転換してみないか?

と話があり、家から出たかった私は直ぐに飛んでいきました。

 

そして、同級生たちが進路で悩んでいる中、

弊社によく来ていた養鶏の機械メーカーさんが

「研修に来ないか?」との誘いがあり、

これはまた家から出られる!と思い直ぐに飛んでいきました。

 

静岡県の菊川町にある、家禽研究所(養鶏場)で、

約1年ちょっと機械の修理や鶏の管理、

また展示会の手伝いなど色んな経験をさせていただきました。

 

研修中に世界中から養鶏に関する資材を輸入している方に

出会って、話を聞くうちに海外に行ってみたい!と思いました。

アメリカでの経験と家業を継ぐ決心

海外で2年間、無料で農業学習ができる、

『国際農業者交流協会』があると知り、直ぐに願書を出しました。

 

渡航1年前から、体力増強トレーニングや

英語の勉強の泊まり込み研修があり、

心身共に鍛えられる研修により、

最初は200人いた同期生が最終日には120人に、

渡航時には86人になっていました。

 

自分の渡航先はアメリカでした。

まずは1ヶ月間は大学で学習し、

続いて3ヶ月ワシントン州のリンゴ農家で研修。

その後、1年半は養鶏場でした。

 

渡米した経験で考え方が大きく変わりました。

 

アメリカ人が全てその様な人々ではないのですが、

お世話になった先生、ボス、上司、同僚、ホストファミリーなど

出会った人々は視野を大きく広く見る事ができ、

全てパワフルでフレンドリーで前向きで笑顔でした。

 

今まで、マイナス思考の自分は彼らのおかげで、

上を向いて歩こう!笑顔でいよう!親を大切にしよう!

と思うようになりました。

 

では具体的に何をすればいいのか?

 

そうだ! 養鶏業を継ぐのが1番の親孝行ではないか!と気づきました。

 

ワシントンで研修中の時に取得した運転免許証
ワシントンで研修中の時に取得した運転免許証

方針転換ではなくプラスアルファ|6次産業へ

23才で帰国し、家業を継ぐことへ。

 

養鶏場での仕事をしていましたが、

ただ鶏卵を生産して販売するだでけは、

付加価値がないのでは?と考え込む日々が続きます。

 

養鶏産業は10年で9割が廃業するという

生存競争の激しい業界。

 

大手養鶏場は都市近郊に大規模な養鶏場を建設し、

大量生産、大量流通の経営手法を実践しています。

 

それでは、弊社の様な中小養鶏場は、

どうやって生き残って行けばいいのでしょうか?

 

色々考えている時に、

鶏卵問屋さんが北九州でケーキ屋さんを始めたとのこと。

かなり繁盛しているとのことで直ぐに訪ねて行きました。

 

オーナーに話を聞き、

他の養鶏場がお菓子屋をやっていると聞いて、

全国をまわり直接、話を聞きました。

 

そして、私が決めた方針は、たまご屋さんを辞めて、

お菓子屋さんを始めるのではなく、これまでのたまご屋の基礎の上に、

新しく自社の鶏卵を使ったお菓子を付け加えるという方針でした。

 

方針転換ではなく、プラスアルファ。

 

生産から販売まで一貫して行う、6次産業です。

 

食品工場、直売所『すずらん食品館』をつくり、試行錯誤の末、

自社の卵を使ったプリンやシュークリームなどの販売をスタート。

 

直売所のお客様数は当初1日30人でしたが、

現在では10倍以上の300人以上のお客様に

ご来店いただいております。

 

販売所で扱っているアイテム数も今では、

150種類以上に増えました。

現場第一主義|自分自身でまず実行

農業は気象の変化や動物の体調など

急変する要素の多い産業です。

 

臨機応変に対応するのは当然のことで、

現場を常に見なければなりません。

 

私の経営者としてのモットーは現場第一主義。

どんな現場でも、社員に言う前に、

自分自身でまずやることを大切にしています。

 

直売所では、からあげを揚げ、

鶏舎で鶏の様子をチェックし、

機械の不具合があれば直し、

配達の際にはトラックを運転しています。

 

現場第一主義でありつつ、

養鶏業の可能性を広げるべく

未来に見据えて行動し続けていきます。

 

有限会社鈴木養鶏場

CEO 鈴木智久